豊臣秀吉一覧

淀城 | 戊辰戦争の初戦である鳥羽・伏見の戦いにて登場することとなった淀藩の城郭

豊臣秀吉が茶々に与えた城とは別である第二の淀城は、明治4年に廃城となるまで250年近く大名家の居城として使用されていた城郭である。現在の遺構は石垣や堀のみとなるが、築城時は連立式望楼型5重5階の立派な天守があった。街中にある小さな城郭でここまでよく残っているのは珍しいのではないだろうか。

小谷城 | 近江を制する者は天下を制すと言われる所以となった浅井家三代の居城

小谷城は古くから浅井家の居城としていたが、築城年は正確な資料がなくはっきりとしたことはわかっていない。三姉妹が肩を並べて見た琵琶湖の風景、妻子を残して自刃することとなった武士の無念など、名だたる戦国武将が必死になって攻め落とそうとしたこの城は、数少ない遺構だけで十分すぎるほど我々に伝えてくれている

安土城 | 壮大な石垣だけでも信長の野望を感じ取ることができる全国屈指の名城跡

織田信長が丹羽長秀らに命じ完成させた城。日本100名城51番。世界初の地上6階建ての木造高層建築物であり、石垣からの高さは約32メートル、総高さは約46メートルと推測。当時の状態が440年経過した現在まで完璧に残っているのは竹田城同様、穴太衆の計算し尽くされた完璧な野面積みの成果なのは間違いない。

岡山城 | 戦国乱世の豊臣時代を伝える貴重な城郭は太っ腹展示で城好きの心を掴む

見どころが多い岡山城。立派な内堀はもちろんのこと豊臣時代のものが増改築を繰り返しそのまま使われ続けた本丸の高石垣は、築城当時の野面積み(のづらづみ)の技法部分に打込み接ぎ(うちこみはぎ)の石垣部分を付け加えた跡を見ることができる。また本丸内には地中内から発掘調査にて発見された宇喜多氏築城時の石垣が見られる

大坂城と名古屋城のもっとも簡単で素早い見分け方は天守台の石垣を比較

素早い見分け方は天守の石垣に注目。大坂城は藤堂高虎。名古屋城は加藤清正が築城時の天守石垣普請に携わっている。ご存知の通り両者は築城の名人であり、これは天下普請の時にもこの能力を発揮しており、大坂城には直線的な美しい高い石垣、名古屋城には扇の勾配を取り入れた芸術的な高い石垣を積み上げているのだ

松坂城 | 松阪市のシンボル的存在の石垣遺構は戦国時代の面影を今に伝える堂々たる姿

松坂城(まつさかじょう)は1588年に蒲生氏郷が同市の松ヶ島城から城下町ごと移転する形で築城したとされている。日本100名城48番。蒲生氏郷は織田信長から認められ、信長の次女を正室としており、その後秀吉の時代には大坂城の「坂」の字をもらって松坂城の名にするなど、かなりやり手の武将である

長浜城(滋賀県) | 秀吉が最初に築いた居城にも関わらず100名城から落選

滋賀県(近江国)は織田信長、豊臣秀吉を代表とし、浅井長政、石田三成、丹羽長秀、山内一豊など、超が付く名高い戦国武将が交通の要衝であるこの地を居城とした、戦国ロマンの跡が今も残る歴史好きにはたまらない地である。その地である琵琶湖の湖畔に天下を手中にした豊臣(羽柴)秀吉が初めてお城を建てた長浜城跡がある。

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