織田信長一覧

岐阜城 | 岐阜の名を付けた信長が世に権力を見せつけるべく築城した難攻不落の城郭

斎藤家が城主としていた稲葉山城を織田信長が攻略し、小牧山城から移った際に地名を「岐阜」と改めたことで有名。遺構は石垣や曲輪、土塁、堀切等があるが、信長時代のものは非常に少ない。1956年(昭和31年)7月に建てられた望楼型3重4階の鉄筋コンクリート製の復興天守はかなり立派な作りとなっており眺望は格別である

小谷城 | 近江を制する者は天下を制すと言われる所以となった浅井家三代の居城

小谷城は古くから浅井家の居城としていたが、築城年は正確な資料がなくはっきりとしたことはわかっていない。三姉妹が肩を並べて見た琵琶湖の風景、妻子を残して自刃することとなった武士の無念など、名だたる戦国武将が必死になって攻め落とそうとしたこの城は、数少ない遺構だけで十分すぎるほど我々に伝えてくれている

清州城 | 清州会議でも有名な織田信長公天下布武の出発点となった城

織田信長がここから桶狭間の戦いへ出陣したことや、信長と徳川家康が手を組んだ清州同盟、本能寺の変の後、後継者を決定する清州会議が行われた城として非常に有名な城郭である。遺構がほとんど残っていない幻の城とも言える清州城であるが模擬天守にはゆっくり楽しく見物ができるよう工夫がされているおすすめの城郭だ。

安土城 | 壮大な石垣だけでも信長の野望を感じ取ることができる全国屈指の名城跡

織田信長が丹羽長秀らに命じ完成させた城。日本100名城51番。世界初の地上6階建ての木造高層建築物であり、石垣からの高さは約32メートル、総高さは約46メートルと推測。当時の状態が440年経過した現在まで完璧に残っているのは竹田城同様、穴太衆の計算し尽くされた完璧な野面積みの成果なのは間違いない。

古渡城 | 14年で廃城となった織田信秀が居城とした城は隣接の公園内が有力か

542年頃、織田信長の父である織田信秀が熱田(現名古屋市熱田区)を掌握し今川に備えるために築城したとされる古渡城(ふるわたりじょう)。隣接する下茶屋公園内の外周は土塁のような作りとなっており、その隣には大きな道路が走っている。公園内に城があり、周りは大きな堀であった可能性が何となく想像できる。

松坂城 | 松阪市のシンボル的存在の石垣遺構は戦国時代の面影を今に伝える堂々たる姿

松坂城(まつさかじょう)は1588年に蒲生氏郷が同市の松ヶ島城から城下町ごと移転する形で築城したとされている。日本100名城48番。蒲生氏郷は織田信長から認められ、信長の次女を正室としており、その後秀吉の時代には大坂城の「坂」の字をもらって松坂城の名にするなど、かなりやり手の武将である

岩崎城 | 小牧・長久手の戦いの舞台となった有名な城にも関わらず入城無料

岩崎城の凄さは、4階建ての天守内部と併設する歴史記念館の入館料が共に無料だということ。模擬天守であっても建設費のみならず管理をしていく上での費用は相当なものであろうが、無料解放するというのは、非常にすばらしいことであるし、頭が下がる。私が知る限りでは岩崎城以外にすべて無料の城は覚えがない。

末森城(尾張国) | 織田信長の父、信秀が死去したとされる城

末森城(愛知県名古屋市)は1547年~1548年に織田信長の父、織田信秀が三河の徳川家康、駿河の今川義元の侵攻に備えて築城した平山城。古渡城から移った信秀はここで死去したと言われている。戦国時代の映画や大河ドラマでは度々登場するなど、史実の中では有名な城の一つである

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