
淀城 | 戊辰戦争の初戦である鳥羽・伏見の戦いにて登場することとなった淀藩の城郭
豊臣秀吉が茶々に与えた城とは別である第二の淀城は、明治4年に廃城となるまで250年近く大名家の居城として使用されていた城郭である。現在の遺構は石垣や堀のみとなるが、築城時は連立式望楼型5重5階の立派な天守があった。街中にある小さな城郭でここまでよく残っているのは珍しいのではないだろうか。
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豊臣秀吉が茶々に与えた城とは別である第二の淀城は、明治4年に廃城となるまで250年近く大名家の居城として使用されていた城郭である。現在の遺構は石垣や堀のみとなるが、築城時は連立式望楼型5重5階の立派な天守があった。街中にある小さな城郭でここまでよく残っているのは珍しいのではないだろうか。
大河ドラマ「真田丸」の舞台となった上田城は、第一次・第二次上田合戦で徳川軍を二度に渡って追い返した難攻不落の城として有名。日本100名城27番。現在駐車場となっている尼ヶ淵から本丸を望むと、ドラマ真田丸にてCGで再現されていたものと同じく絶壁に立っていたであろう姿は今でも少なからず予測できる地形になっている
542年頃、織田信長の父である織田信秀が熱田(現名古屋市熱田区)を掌握し今川に備えるために築城したとされる古渡城(ふるわたりじょう)。隣接する下茶屋公園内の外周は土塁のような作りとなっており、その隣には大きな道路が走っている。公園内に城があり、周りは大きな堀であった可能性が何となく想像できる。