淀城 | 戊辰戦争の初戦である鳥羽・伏見の戦いにて登場することとなった淀藩の城郭

こんにちは、かずやんこ(kazuyanko)です。
今回は京都府京都市伏見区にある淀城。

淀城1 ↑
唐人雁木跡の石碑から河川の交通要所であったことがわかる

豊臣秀吉が茶々に与えた城とは別の第二の淀城

淀城(よどじょう)と言えば、歴史が好きな方ならばご存知の方も多いはずだ。戦国時代を舞台とした映画やドラマでは必ずと言って良いほど登場する。

淀城2 ↑
堀は整備されてはいないが現在も良く残っている

なぜならば、あの天下を収めた豊臣秀吉が、側室である茶々(浅井三姉妹の長女)に与え、産所としたした城であるからだ。これにより茶々は”淀殿”と言われるようになったのだ。

淀城3 ↑
明治天皇御駐蹕之址という石碑が隅櫓跡?に立つ

しかしならが今回の淀城は、茶々が産所としていた城とは別の場所であると言われている。淀殿の城は近年では(淀古城:よどこじょう)と表記されているため、注意が必要だ。紛らわしい為、今後当サイトでも淀城、淀古城と分けて記載していくこととする。

淀城4 ↑
多聞櫓か隅櫓の石垣。こちら側は小さめの石材が使われている

元和9年(1623年)に2代将軍徳川秀忠の命令により松平定綱が築城したとされる淀城は、明治4年(1871年)に廃城となるまで250年近く大名家の居城として使用されていた城郭である。

淀城6 ↑
堀側の天守台石垣はかなりの高さがあり見応えがある

現在の遺構は石垣や堀のみとなるが、築城時は連立式望楼型5重5階の立派な天守があったのだ。その後落雷により焼失してしまっているが、天守台はそのままとなっており現在にもその姿を見ることができる。

淀城7 ↑
天守台内部にはかなりきれいに加工された石材が見える

天守台が残っている城址と残っていない城址ではやはり見方が随分と違ってくる。天守台からどれほどの規模の天守があったのか想像することができるからだ。ここ淀城は二条城の天守が移築されたとされており天守台と天守自体は一致しているとは限らないが、ほぼ平地であり河川で囲まれていた地形から考えると周囲からはかなり目立つ建造物であったに違いない。

淀城8 ↑
ここは姫路城から移築されたと言われる櫓跡だろうか

歴史的に見ると、徳川が築城したこの城はもちろん幕府の所有物であったのだが、戊辰戦争の初戦となった鳥羽・伏見の戦いに敗北した旧幕府軍が淀城まで逃げ、城内に籠もろうとした際には淀藩に拒絶され、入城を許されなかった。

淀城9 ↑
京阪電車はなぜか石垣越しに見ても違和感ない

結果、新政府軍(官軍)が勝利した要因の一つになってしまったという何とも皮肉な出来事があったことで有名なのだ。

アクセス

京阪本線の淀駅からすぐの場所にある淀城はアクセスが良く見物にも時間がかからないため、歴史好きの方は京都に訪れた際にぜひ訪れていただきたい城址だ。

尚、淀殿の淀古城に関しては淀城から歩いて15分ほどの場所に跡地があるため、時間に猶予のある方は一緒に訪れるのも良いだろう。

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