真田丸出城 | 大坂冬の陣にて真田信繁が徳川方と戦った舞台は歴史を偲ぶに最高の場所

こんにちは、かずやんこ(kazuyanko)です。
今回は大阪市天王寺区にある真田丸出城跡。

真田丸1 
心眼寺正面。石碑には真田幸村出丸城跡とある

大河ドラマ「真田丸」でお馴染み大坂の陣の舞台

NHKの大河ドラマにて一躍有名となった真田丸であるが、戦国時代の終焉となる1615年の大坂の陣(冬の陣)後にすべて取り壊されており、現在の遺構からどのような出城だったのかを憶測するのは非常に困難となっている謎多き場所なのだ。

真田丸2 
従五位下「真田左衛門佐豊臣信繁之墓」と記した石碑がある(写真中央)

一番可能性の高いと言われている説では、南側以外を湿地帯と河川に囲まれていた大坂城の弱点を埋めるための砦とともに、南側からの攻撃を受けた場合、真田丸に注意を集中させ、策を講じながら最前線にて攻撃を行い、敵の侵入を食い止めようとしたとされている。

真田丸3 
入口正面の心眼寺本堂はかなり新しい立派な作りだ

真田丸の出城跡とされる場所は現在、心眼寺に石碑が建てられており、大坂城天守からの距離は南に2km程の場所にある。現在の長堀通からは200m程南の距離である。

真田丸4 
三光神社の東側入口。いかにも城跡らしい小高い丘になっている

400年以上も前に取り壊されたことから詳細や真意は誰もわからないのは仕方がないことであるが、実際に現地を訪れてみるとこの場所に真田丸という砦が築かれていたことが予測できるような地形になっており、悲劇の戦いであったが何か戦国のロマンを感じることができるのだ。

真田丸5 
真田石に乗った立派な真田幸村像が建てられている

心眼寺の東側には、いかにも城跡らしい小高い丘の上に三光神社がある。ここには真田幸村(信繁)の像が建てられていたり、大坂城への抜け道(トンネル)があったとされる抜穴跡がある。

真田丸6 
真田丸のイメージを再現したような抜穴跡。中を覗くと行き止まりのようだ

戦国の世が終焉を迎える歴史的な戦いが行われた場所の雰囲気が存分に味わえる歴史好きにはたまらない場所であろう。

真田丸7 
戦国時代にはここで多くの犠牲者が出たはずであり、ぜひ手を合わせたい

壮大なスケールを誇る大坂城のみでなく、真田丸出城跡にも立ち寄り、戦国武将達の思いを感じながら心眼寺と三光神社を参拝するのも良いのではないだろうか。

真田丸8 
インスタ映えするかどうか不明だが、定番の顔抜きパネルも設置済

アクセス


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<心眼寺>
〒543-0016 大阪府大阪市天王寺区餌差町2番22
大阪環状線「玉造駅」から西へ徒歩10分 駐車場無し

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