松坂城 | 松阪市のシンボル的存在の石垣遺構は戦国時代の面影を今に伝える堂々たる姿

こんにちは、かずやんこ(kazuyanko)です。
今回は三重県松阪市にある松坂城。

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松坂城虎口。各入口に立派な石碑が立つ

松坂城(まつさかじょう)は1588年に蒲生氏郷(がもううじさと)が同市の松ヶ島城(まつがしまじょう)から城下町ごと移転する形で築城したとされている。日本100名城48番。

完璧な出世街道に乗った蒲生氏郷

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表門から見た石垣。当時は立派な土塀があったであろう

蒲生氏郷氏は大河ドラマ等で話題になることが少なく、あまり耳慣れない武将かもしれないが、織田信長から認められ、信長の次女を正室としており、その後秀吉の時代には大坂城の「坂」の字をもらって松坂城の名にするなど、かなりやり手の武将であり、主君の重役についていたことがわかる。

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城内の道はほとんどが現存していないようだ

さらに最終的には福島県会津若松市の若松城の城主を60万石をもって務めることになるなど完璧な出世街道に乗った戦国武将なのである。

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大きな木が育っていることから長い間天守がなかったことがわかる

この松坂城は出世頭の蒲生氏郷氏の勢いがよく反映された城郭となっているのだ。建造物が何も残っていないのは残念ではあるが、高石垣や天守台など修復されながらよく現在まで保存されており、石垣好きにはたまらない城址となっている。

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安土城を思わせる石垣と石階段

穴太衆が積み上げた石垣

石垣は戦国時代の城郭の特徴である「野面積み」が多くを占めており、泰平の世となった時代の城郭とは荒々しさが全く違うのである。
しかもこの石垣は蒲生氏郷氏の出身地が近江国蒲生郡であったこともあり、地元からあの有名な「穴太衆」と呼ばれる石工集団を呼び寄せ積み上げており、そのすばらしい技術によって、現在までその姿を変えることなくそびえ立っているという理由の一つとなっているであろう。

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所々大きな石を入れ安定させている石垣

石材は地元の川から集めた河原石が使われているようだが、はやく完成させたかったことで、古墳時代の石棺の蓋なども使用されたと記録にあるのだ。その一部は天守跡で現在も残っており、確認することができる。

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梶井基次郎文学碑とある

尚、天守台については修復の痕こそあるものの、高さもあり大きく、どのような天守が建っていたのかを想像するだけでも戦国ロマンを感じることができる。

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隠居丸跡へ明治に建てられた「桜松閣」

これは賛否両論分かれるところであろうが、せっかくここまでの天守台があるのであれば、小ぶりでも模擬天守を建てていただきたいと思ってしまうのだ。
天守さえあればここまでの城址である松坂城はさらに松阪市のシンボル度が強くなり、各国から観光客が訪れるような名所になるのではないだろうか。

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