こんにちは、かずやんこ(kazuyanko)です。
今回は東京都千代田区にある「江戸城」。
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堀からみた再建された大手門。さすがに風格が漂う
日本最大の城郭を持つ江戸城は、知名度も最大級であり、数々の時代劇や大河ドラマ、映画に登場する。日本100名城の21番。
しかし、江戸時代の建築物はほとんどが火災と戦火、震災にて消失しているため、ここで撮影ロケが決行されることは少ないであろう。
日本最大の規模を持つ城郭
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百人番所。江戸城内には多くの番所がある
忠臣蔵や大奥など有名な時代劇は姫路城を使用したり、太秦映画村で撮影されたりしているのだ。暴れん坊将軍に関してもご存知の通り徳川吉宗が題材であるため、完全に江戸城下のお話であるが、幾度となく姫路城がバックに登場するのである。
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大手門。きれいに加工され、隙間なく積まれた石垣
天守に関しては映画やテレビの影響か、江戸城は姫路城と同じく漆喰の白壁で覆われた天守を想像してしまう。
家康時代の天守はあまり記録が残っていないということだが、三代目天守は多くの記録や絵図があり、実際のところ、屋根は銅瓦葺、壁は銅板を黒く塗ったものが貼られ、見た目は名古屋城の黒バージョンといったところのようだ。
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大手門から見た外側。城下町らしくビルの合間を真っ直ぐに道路が延びる
だがやはり松平健氏が演じる吉宗は、黒壁天守や栗毛の馬よりも、白い天守をバックに白馬で疾走するのが似合うのは言うまでもない。
御影石を使った特徴のある天守台
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天守台。ところどころ黒ずんでいるのは江戸時代の火災や戦火の痕か
石垣には加藤清正、藤堂高虎等様々な大名が普請に携わり、その技術の高さを今も物語っている。天守台は黒田長政が担当しているが、現在残っている石垣は3代目となるものであり、当初のものは存在していないようだ。石の種類は花崗岩を使用しており、他の城郭とは違った重厚感がある。
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スロープと安全に配慮した手すりも設置されており誰でも登ることができる
積み方も当時の新技術が使われており、きれいに加工された石を積む切込み接に、横一列に均等に並ぶよう布積みが採用されている。ここに5層5階、地下1階の天守があったのだ。
これは江戸城のシンボル的な存在であり、石垣マニアならずともひと目で江戸城の天守台だと判断することができる。
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天守台上部。天守の地下部分であろうか
石垣の周りはアスファルトで舗装されており、誰もが天守台に登れるようにスロープが設けてある。これは非常にありがたいことだが、何か当時を偲ぶには歴史感に欠ける気がするのは私だけであろうか。
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広大な内堀。太平の世にここまでの堀が必要だったのだろうか
大阪城に対抗心?江戸幕府の権力の象徴
広大な敷地を取り囲むお堀と石垣を見るだけでも、東京のど真ん中にここまで巨大な石を運ばせた江戸幕府の権力は今では想像もできないほどのものであったことが伺えるのだ。
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乱積みの高石垣。色が揃っており、当時から崩れていないことが予測できる
ただ、江戸時代に入り太平の世となった当時、ここまでのお堀を作ったのは、秀吉の時代から家康に変わったことを世に知らしめるためのものであったことに間違いはなさそうだ。
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北橋詰門から出た堀の中は水草で覆われていた
それにしても江戸時代はここまでの立派な建造物を作り上げる技術が発達していたにもかかわらず、もっと防火や消火対策等を重視した構造で築城していれば、多くの建築物が現在に残っていたのではないか。惜しいなと勝手に思うのであった。