備中高松城 | 秀吉による水攻めの舞台となった有名な城址を自転車でのんびり散策

こんにちは、かずやんこ(kazuyanko)です。
今回は、岡山県岡山市北区にある高松城。

備中高松城1 ↑
本丸よりも水攻め時の堤が高いことを示している看板

信長が猛威を振るい、その力を揺るぎないものとしていた時代、備中国(現在の岡山県西部)は明治維新まで続く名門毛利氏が支配し、さらに勢力を拡大しようとしていた。
もちろん信長にとっては天下を取る為に落とさなければならない国の一つであり、有名な備中高松城の戦いの舞台となった中心の城がここ備中高松城(びっちゅうたかまつじょう)である。続日本100名城171番。

備中高松城の戦い(高松城の水攻め)とは

備中高松城の戦いは、何がそこまで有名なのかというと、もちろん織田軍と毛利軍の戦いで両者数万の兵を動員する大戦なのは間違いないが、その戦いの終焉を迎えた攻略法が織田軍の羽柴秀吉による「水攻め」という奇策により、籠城をしていた毛利軍の清水宗治を多くの兵を失うことなく降参させたというところが大きなポイントだ。

備中高松城2 ↑
撮影時期ではわからないが、湿地帯らしく蓮が植えられている

戦国時代では何回かこの水攻めを落城させる手段に使われていたのだが、ここ高松城の水攻めとは、堤(つつみ)を作って梅雨時期で増水した川の水を引き込み、もともと湿地帯であった城の周りをすべて水で浸からせ、兵糧の供給を断ち、援軍の支援も行わせないという策である。

備中高松城5 ↑
城址内は綺麗に整備されており、憩いの場となっているようだ

策自体は誰でも思いつくかもしれない。いや、我々はそのような歴史を知っているからこそ当たり前だと思うのかもしれない。現在でも諸国に対する政府の経済制裁など、ほぼ兵糧攻めと同じことをしている。しかし当時としてはとんでもないことだっただろう。もちろん大きな重機や爆薬的な物は無く、小さな人力を要する道具で工事をしなければならないのだ。

備中高松城4 ↑
高松城址の近くには、清水宗治自刃の地である妙玄寺がある

それ相当な人手を要したことは当たり前に、大量の工夫を瞬時に雇った織田軍の権力、財力の凄まじさは現在では計り知れないものがあるだろう。また、その実行を決めたのが、この戦のあと間もなく天下をとることになる秀吉の瞬発的な判断力と強運、軍師と呼ばれる黒田官兵衛の天才的な戦案と忠誠心があったことは忘れてはいけない。

現在の高松城址は平和そのもの

この水攻めの際に作られた堤の一部が現存しており、当時ここで激しい戦いが起こっていたことを実証することができ、歴史好きにはたまらない場所も存在する。城址から少し離れてはいるが、ここも訪れた際には行っておきたい場所だ。

備中高松城3 ↑
消えかかっているが「高松城水攻め築堤跡」と表記されている

しかし高松城の戦いは戦国時代の出来事であり、もちろん城内の建築物は何もなく、その他遺構もほとんど残っていない状況だ。

備中高松城6 ↑
大鳥居から秀吉本陣のあった最上稲荷へは自転車で15分

現在は公園として整備されており、子供たちが走り回ったり、お年寄りが散歩を楽しんでいたりと、のどか過ぎる風景が広がっている。

備中高松城7 ↑
普通に通り過ぎてしまいそうな日幡城跡の石碑

園内には唯一の建物である資料館がある。ここは無料開放されており、水攻めの様子や近代歴史等の資料が展示されており、ボランティアガイドさんが丁寧に解説を行ってくれる。歴史マニアは訪問しておきたいところだ。

備中高松城8 ↑
備中国分寺跡。ここもかなりのどかな風景だ

また、周辺はサイクリングロードとしても少しずつ人気が出てきており、サイクリスト曰く、平坦が多く、車が少なく走りやすく安全だと好評のようだ。高松城を訪れたあと、半日ほどかけてゆっくり周辺の境目七城や、国分寺、古墳などを自転車で見て回るのも楽しいだろう。

総社サイクリング ↑
ここをサイクリングロードと呼ぶのかどうかは別だが、安全だ

アクセス


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岡山駅からJR吉備線-備中高松駅下車-徒歩10分

〒701-1335 岡山県岡山市北区高松558-2
TEL:086-287-5554 (高松城址公園資料館)
10時~15時 定休:月曜、年末年始

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